空飛ぶ車いす
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あればあるだけ、喜ばれる「車いす」
   車いす修理の若き技術者へ
収集ボランティア/田村嘉應  

   栃木工業高校と共同で「車いす」をアジアに贈る運動に関わり10年、千台を越えた。車いすを収集し始めて暫くの間、心に引っ掛かっていたことがあった。「日本で要らなくなった車いすはいくら修理したって新品になるわけじゃない。それを欲しがっているからといって送り届けて、利用者達はどんな思いで受け取るのだろうか。」

   そんなある時、ミヤンマーのインパールの山中に「車いす」を届ける機会があった。そのツアーの途中、ある町で移動用のバスの中で休憩していたときのこと。15歳くらいの少年がいきなり車中に飛び込んできて、バスの後ろに積んである「車いす」を譲ってほしいと言い出した。詳しく聞いてみると少年の叔父さんが障害者になり村には「車いす」が無く移動するのに困っているという。「車いす」さえあればと必死に訴えるが、積んでいた「車いす」は贈り先が決まっていたので少年にはあきらめてもらった。

   その時の少年との偶然の出会いで私は、「例え古くても車いすを必要とする人は世界にはいっぱいいる。あればあるだけ、喜ばれる。いくら修理し送り届けても、決して余ることはない」と、アジアに車いすを贈る運動の意義をあらためて確信した。